「客観的に考えろ!」・・・みなさん、一度はこういうことを言われたり、本などで学んだりしたことないですか?多分、普通に人生を送っていると、学生生活や仕事の中で、主観よりも客観性を問われることが圧倒が多いんじゃないかと思います。

極論すれば、客観的にモノゴトを見られる能力には価値があり、「アンタが自分で考えている主観なんてどうでもいい」、というのが、一般的な価値観ではないでしょうか。ところが、先週とある2つの出会いの中で、これからの時代、むしろ客観性よりも主観性が大切になってくるであろうという気付きを得る機会がありました。


一つは、東大ischoolで行われたワークショップに参加した時の話です。ischoolというのは、イノベーションを促す人材の育成を目指して、デザイン思考的なアプローチで教育に取り組んでいるプログラムなのですが、このワークショップの中で、「ワトソン君」の話題が紹介されていました。

AIのワトソン君、アメリカのクイズ番組で優勝したハナシはこちら

このワトソン君、クイズ番組で普通に口語で話される質問を理解し、人間と競って答えていくのですが、ぶっちぎりで優勝したそうです。このハナシ、ゴゴはまったく知らなかったのですが、AIはここまで来ているのですね。
(ちょうど前回記事でAIの話を扱ったところでもあったので、不思議にタイミングがつながるものだと。。。)

iSchool横田ディレクターの予想としては、「デザインする」という行為もある程度の思考フレーム・ステップが見えてきているので、2050年頃には、ある程度創造的な活動も含め、コンピューターが人間よりも優れて行える時代がくるだろう、逆に人間に価値が残るのは、何を作っていきたいかという「主体的な意思」ではないか、という話しでした。

そしてもう一つの出会いは、ロンドンのデザインファームをベースに活動する知人が日本に出張してきたタイミングで会って話していた時に出てきた、「日本人は主観的なところが弱いように思う」、というハナシです。

これがまさに今回のテーマを書く大きなきっかけになっているのですが、彼曰く、新しい価値を生み出していくプロセスにおいては、組織や個人が持つ何らかの根本的かつ固有の価値観やコンセプトを前面に出してエッジを効かせなければならない、しかし、こうした「主観的な」パワーがヨーロッパに比べて日本は弱く感じる、ということでした。

ヨーロッパはどうなのかと聞いてみると、個人が自らの好みを大切にしていて、知名度や他者の評価などにあまりこだわらず自分なりに楽しんでいること、またその分個々人の好みが分散しているために、多様なもの・新しいものが受け入れられる土壌やマーケットの厚みがある、とのこと。

一方で日本はどうかと考えると、まさに冒頭で上げたように、「客観的に見てどうなんだ?」的な、すでに確立されたものの見方や価値観に照らして、自分の考え方があっている、間違っている、といったような思考に知らず知らず染まってしまっているように思います。

客観性というのは、それはそれで大切なことは間違いないですが、それでは主観はどうするんだ?というところには、今まで全く光があたっていなかったと思います。

正しいことを間違えないように遂行すること、そういう時代であれば、確かに客観性一本槍でも良かったのでしょう。しかし、新しい価値を生み出していく中で、「主観的な」価値観・コンセプトが求められ、一方で誰が見ても正しい「客観的なこと」は、どんどんAIがとって変わっていく時代がすぐそこにやってきているとしたら・・・?どう考えても、主観的なモノの考え方がもっともっと求められるようになってくるはずです。

じゃあ、「俺はあれが好き、これは好みじゃない!」なんて、「ユニークな個性(笑)」をぶちまけ続けることが、主観を磨くことにつながるのか?いえいえ、ゴゴログはそんな浅くないっすよ、と行きたいのですが、ちょっと長くなってしまうので、そこは次回に続く、ということで。