ゴゴログ、今回は保育園問題について考えます。待機児童やら保育士の待遇の低さやら、問題アレコレ山積みの保育園制度ですが、いったい何が問題の本質なのか?

ちなみに、ウチでも2年前、保育園探しに苦労しました。認可保育園に申し込むも、共働きなりの世帯収入があるために順位低く入れず、結局カミさんの復職ギリギリのとこで認証の空きが見つかり、てな感じでした。まあそれでも、近くの便利な場所に入れただけでもラッキーなんでしょう。

しかし、「ちょ、おま、こっちはそれなりに税金納めとんのにどういうことやねん?だったらカネ返せよ!!」なんて、心底怒りを感じました。ずっと待ってる人なんて、その比じゃないでしょうね。

という訳で、収入に応じた負担はあってもいいのですが、審査基準に世帯収入の多寡があるために、税金支払いで貢献してるほど、保育サービスが受けにくくなるという、逆差別的な仕組みになっている訳です。なんでそんなイミ分からんことになっているのか?


これはそもそも、保育行政が、「保育に欠ける子どもの保護・養育のために行政として認める措置」であることに端を発しています。「措置」なんです。何です、それ?

措置って、字ヅラからして、いかめしくて融通きかなさそうでしょ?そのとおりです。これは市バスなどのような単なる公共サービスではなく、「社会的な観点から必要と認められる場合に限って、行政が個人にかわって必要な行為をしてあげる」という、家父長的国家観に基づく考え方で制度設計がされています。自分では適切な判断ができない精神病患者を、必要と判断された場合に本人の意思と関係なく無理矢理でも入院させることを「措置入院」といいますが、保育もそういう「措置」なんです、現状は。

もはや、この出発点からして、現代社会のニーズからズレています。措置としての保育が残る部分があってしかるべきですが、今、圧倒的に求められているのは、サービスとしての保育です。この、そもそもの価値観のズレが、話が噛み合わないことの根本要因です。



では、行政措置として行われているがゆえに、保育園は現状どう制度運営されているか、そしてそれを、保育の質は担保しながら、働く女性を支えるための公共「サービス」として機能させるためにはどうすればよいのか、考えていきたいと思います。

(つづく)