ビットコインネタ、まさかこんなに引っ張ると思わなかったのですが、今回は、よくわかりにくいであろうビットコインが産まれる仕組みと、流通管理の仕組みについて、先の中本論文を読んで理解したことと、その上での通貨としての技術的限界について考えてみます。
しかしこのネタ、調べれば調べるほど興味が深まっております。(あ、以前の記事を読んでない方のために言っておくと、あくまでも、通貨としての有効性に対する懐疑として、ですからね。ゴゴはビットコインはマネー(貨幣)ではない、というスタンスです。)
ま、それもこれも最初の記事に反論コメントを頂いた方のおかげです。ご本人はやりとりが気に食わなかったようで、コメントも消してくれていいと機嫌をそこねてしまったようですが、議論というのは深まってこそ面白いもの。前回記事や今回の記事にも是非コメントいただきたいところです。
***
さて本題ですが、友人より、「ビットコインの発行元や権限、総量管理の方法がわからん」というコメントをいただいたので、前回記事で端折ったこのあたりの話を、毒を食らわば皿までと、考えてみることにします。
1.ビットコインの発行について
まず、ビットコインには、「発行元」という主体は存在しません。(これが、最初の記事に「分かってない」と反論いただいたポイントですね。) ビットコインは、ビットコイン・マイニングプログラムを走らせることで製造されます。
「え、勝手におカネ作ってんの?」と思われるかもしれませんが、半分ホント、半分間違いです。あくまでも「ビットコイン」というデータセットが作られるだけです。そして、ここからがビットコインを通貨として認めるかどうかの議論が分かれるコアになるのですが、「これはおカネである」と認める人にとっては、おカネとして認識されるわけです。ちょっと意味わからないですよね?ここは次に説明します。逆に、これをおカネと認めない人にとっては、価値のないデータセットがどこかで勝手に作られているだけの話です。(ゴゴはこちらの立場)
じゃあなぜこんな勝手に作られたデータセットを、 「おカネ」として認める人たちがいるのか?それは、このビットコインの製造と流通のシステムが、誰かの恣意的な操作で勝手にビットコインを増やしたり、不正な二重使用ができないよう、うまく設計されたシステムになっているからです。(この仕組みこそが、中本論文の要旨です。)
ウェブマネーというのは、物理的な形がないために、それが不正に複製されたものでないことをきちんと証明できないと、誰も使おうとはしません。当然ですよね。「偽札」に交換される可能性の高いシステムを使う人はいません。そこで、通常は信頼性の高い発行元が、電子認証技術を使って一元的にウェブマネーの真正性を管理するシステムを使ってバーチャルなお金を発行・管理しています。
一方で、ビットコインには、冒頭述べたように発行元は存在しません。 Peer to Peer(P2P)ネットワークという自律分散型システムの中で、プログラムを導入したシステムがそれぞれ独自にビットコインを製造しています。しかし、一つ一つのビットコインが他に存在するものと同じではない、ユニークなものであることを確保するために、作ろうとするビットコインがすでに存在するビットコインと同一のデータセットを持ったものでないことを検証した上で、 新しいコインを製造するような仕組みになっています。
一度のプログラム実行(「マイニング」)により製造されるコインは50枚と定義されているようです。最初はそれこそザクザク製造できるのですが、存在する枚数が多くなってくると同時に、製造に参加するネットワークも増えてくると、作ろうとするコインのデータセットが他とカブってないことを確立する検証に時間がかかるようになるため、そう簡単にいくらでも作れる代物ではなくなります。(数学的センスがある方なら、この検算作業が幾何級数的に複雑になっていくことがイメージできるかと思います。)
これと合わせ、ビットコインの年間発行量には、年々逓減する上限値が定められているため、どれだけ多くの人が、どれだけ進化したCPUパワーをもってしたところで、急に総量が膨れ上がることはありません。こうした発行量の安定性・非恣意性が、ビットコインを「おカネ」として認める人たちの論拠の一つです。昔は貝殻が通貨替わりであった時代もあるわけで、それが「信頼できる」となれば、無価値なものでも通貨たりうる、という理屈です。
2.流通管理
さて、こうして作り出されたビットコインですが、使用する段階で、支払先AとBに、ほぼ同時に払い出されたらどうなるでしょう?(より正確に言うと、一度払い出して、不正なキャンセル操作をして密かに取り戻したコインを別の払い出し先に対して使用するケース。もとが同じコインが二重に使用された状態です。)この場合、片方のデータは真のビットコインであり、もう片方は「偽札の」ビットコインということになります。ビットコインの適正管理を保つためには、どちらかのコインを真のもとのし、どちらかを偽とする必要があります。
ここにおいて、ビットコインの管理システムは、「履歴のチェーンの長さ」を真正性の判定に使います。ビットコインのデータセットには、ネットワーク間での取り交わしのログ(履歴)が、過去のものも含めて延々と記録される仕様になっています。そのため、二つのデータセットのうち、より長いログを保有している方、おおざっぱに言えば、先に使用されてより長い取引履歴を持っているビットコインを真とする条件をプログラムに内包させています。
ビットコインの使用履歴は、ほぼ瞬間的にネットワーク全体に共有されるので、後追いで不正に二重使用されたコインはより短い履歴になっており、製造段階で同じユニークネスIDを持っていて、ログの長さが異なる二つのコインが検出された時には、ログの短い方のコインを拒絶する仕掛けになっています。
ビットコインの流通を受け入れるシステムの中では、こうした検証作業がひたすら行われており、先に使用されたコインを不正に二重使用をしようとするならば、ネットワーク全体の過半の検証作業能力を上回る演算能力を持って、先回りして後に使用した方のコインの真正性証明(プルーフオブワーク)を作成しなければいけないのですが、こうしたことを可能にするのは現実的にほぼ不可能なレベルであるという、確率論的な立証によって、ビットコインの受け取りと流通に関する信頼性が実現されています。こうした不正使用に対するハードルも、ビットコインを貨幣としての信頼性を語る論拠の一つとなっています。
3.ビットコインを貨幣(マネー)とすることの矛盾
このように見ていくと、ビットコインを支える理論ベースは、それなりに正統性を感じさせるものになっています。しかし、やはりビットコインを貨幣として、世の中の決済を塗り替えようとするには、いくつかの無理が存在しているように思われます。
●将来の希少性を理由とした価値の急騰と、貨幣としての機能の矛盾
ビットコインは、適正な流通量を維持するために、年々の発行上限を決めており、だんだんとそれが逓減していくモデルのため、最終的なマーケット流通量には理論的な上限値があります。こうした入手可能性の限定をタテに、数量が限られたビットコインは将来価値が上がるとのあおりを受けた人たちが、我先にとビットコインを買いに走ってその価格を釣り上げています。
しかし、貨幣というのはあくまでも価値交換の媒介物であって、本来それ自体の価値が大きく変動するのでは、貨幣としての機能を果たしません。逆に、論文を離れたところでのビットコインの説明においては、ビットコインは希少性により価値が認められた、金(ゴールド)のようなものである、との説明もみられます。 ここにおいて、ビットコインは、通貨(マネー)と、資源(金)との微妙なすり替えを行っています。
確かに、製造量(採掘量)に限界があり、製造上限(埋蔵量)にも限界があるという仕立てにおいて、金とビットコインは似ています。しかし、金は現代の世の中にあって通貨ではありません。装飾材料としての根源的な高い価値が認められる中で金の取引マーケットは存在しますが、それでも金はマネーではありません。
同じようなマーケット構造は、古い切手の交換売買のマーケットにも見られます。一部の切手マニアには、特殊な切手に対する彼ら固有の価値観を持って、高額であっても入手しようとするマーケットが存在します。ビットコインが希少であるということをもって、取引市場において加熱した取引がされているということは、ビットコインがこうした特殊な切手と同じような存在であることの証明であり、同時にマネーではないことの証明になります。
説明によっては「仮想のゴールド」などとうまくいわれているがために、「仮想通貨」として受け入れられているようですが、それが仮想の「金」であれ、「切手」であれ、あるいはゴゴがかつてあつめた「牛乳ビンのフタ」であれ、ビットコインはおカネではないし、そいうした特殊な収集ニーズの中でたまたま今、取引マーケットが過熱しているだけ、ととらえるのが正確だと思います。
●ビットコインを貨幣(マネー)とすることの技術的矛盾
先の項では、ビットコインは貨幣ではないとの理屈を展開しましたが、仮にこれを貨幣だと認めたとすると、どんな問題があるでしょうか?
ビットコインは、中央管理的な仕組みにかわって、とあるビットコインの流通の適正性を、その都度ネットワーク全体で検証検算を行うことで、いかなる権力からも解放された貨幣流通を実現することがその本質です。しかし、こうした思想とそれを実現する仕組みの中に、ビットコインが現実のおカネに成り代わる可能性がないという技術的な限界を内包しています。
通常、おカネを使う場合に、そのお金が偽札がどうかを検証したりしないですよね?それは、現実的なマテリアルとして、偽札を作ることのむずかしさが、一元的に管理されているからです。一方、ビットコインは、偽物を作り出すことよりも、偽物が流通することを、ネットワーク全体の中での相互監視によって阻止しようとすることがベースにあります。例えていうなら、あなたがとあるお札を使おうとするタイミングで、そのお札と同じ番号のものが、以前に別のルートで使わて別のところにないか?ということを何らかのシステムを使って都度都度確認するようなシステムです。
もちろん、そうした計算はP2Pネットワークの中で無数に連結されたコンピューターの共同作業によってなされるので、瞬時に終わることが期待されています。しかし、ビットコインの存在量と流通速度が格段に増えた時に、こうした検証作業が適切な時間の中で完結するとは限りません。
先に述べたように、ビットコインの年間産出量とトータルの累積算出量については、理論的な上限が設定されています。これについては、その必然性が中本論文では語られていませんが、おそらく、無制限にビットコインが製造・流通されるようになると、プルーフオブワークを検証する作業がスタックしてしまい、取引が成立しない状況になることを懸念したことによるのではないかとゴゴは推測します。(CPUの演算パワーが今後も飛躍的に改善しつづければ総量規制をしなくても問題は起きないかもしれませんが、保険をかけておく方が、ビットコインシステムを長く運用したい方にとっては有用ですよね。)
しかし問題は、おそらくビットコイン作成者が想定しなかったであろう、急激なビットコインの取引増加です。1ビットコインは2013年12月1日現在で、約10万円ほどに高騰しているようですが、使用単位が約10万円では、使い勝手が悪くてしょうがないですよね?
ビットコインは、コイン価値の変動に対応して、最大1億分の1ビットコインまで分割して使用できるようになっているようです。しかし、現在のように高騰してしまえば、実質上の使用単位は1ビットコインよりも小さな単位になってしまっているはずで、いくらビットコイン単位での流通量を制限しようとも、0.01ビットコインとか、小数点単位のビットコインが実際上の流通単位になってしまえば、プルーフオブワークの処理量は、それに応じて急激に増加するはずです。
ビットコインの持つデータセットは、ある一定量で過去のものを捨てても大丈夫なように設計されているようですが、その制御されたデータマックスで流通上限の1億倍(1億分の1ビットコインが現在の最大分割単位なので)の処理をP2Pネットワークの能力で完全にこなせるのか?
もし、絶対に取引事故が起きないように数量設定されているとすれば、現実世界で使用できるよりもかなり少ない取引総量でハードルを設定するはずですし、逆に、現実世界の貨幣をすべてリプレイスする思想で設計されている場合、 現実世界での想定取引量よりも多くの取引が発生してしまえば、そこでビットコインでの取引はダウンしてしまうのではないかと思います。
つまり、ビットコインが安全に、適度な処理速度で活用できる範囲というのは、現実世界での取引の総量よりも小さい、つまり貨幣としても認められてもその流通範囲が小さく限定されたものにしかなりえないのではないか?というのがゴゴの仮説です。(あくまでも、ビットコインが貨幣として認められ、安定的に使用されるとした前提です。くどいですが、ゴゴはビットコインは仮想ゴールド(または仮想の牛乳ビンのフタ)とは認めても、マネーとしてはみとめてません。)
上記の仮説がもし本当であり、ビットコインの現実世界での使用可能性が、通常のマネーよりも小さいのだとの理解がうまれてしまった瞬間、ビットコインは致命的に急落するでしょう。 世界中のユーザーにとって、ビットコインが日本の多摩地域の中でしか、あるいは牛乳ビンのフタを集めている小学生の中でしか通用しないとなれば、だれもそれを保有しようとはし続けませんよね。
4.まとめ
というわけで、
・ そもそもビットコインはマネーではない。なぜならば、製造のタイミングでは、プログラムにより生み出される、何らバックアセットをもたないデータのカタマリにすぎないから。「仮想ゴールド」と例えられるように、あるいはゴゴが「かつて集めた牛乳ビンのフタ」と揶揄するように、その特殊な価値を求める人にしか価値のない、特殊な財物である。
・ 仮にビットコインをマネーと認めて流通させたとしても、個別の仕様タイミングでその通貨の真正性をネットワーク全体で都度都度検証するという仕組みには、能力的限界があるのではないかと思われる。 あるいはもし、ビットコインが世界全体での貨幣流通を支えられるシステムであるとするならば、ビットコインに将来的な希少性などなく、やはり現在の価格は100%バブルであるといえる。
(日常使われている貨幣に、希少価値を感じて高値で集めるバカはいないですよね?)
いずれにしても、ビットコインはその理論を追ってみると、最終的にどこかで矛盾が発生します。しかし、ネットワークセキュリティ理論と、二重使用リスクの発生確率論と、貨幣発行・管理の正統性という、なかなか重ならない領域の専門知識を組み合わせて作られているため、その矛盾に気づきにくい内容になっている、というのがゴゴの所感です。
結構精緻な理論構成に、ひょっとしたらビットコインの生成段階できちんとアセットバックが担保できれば、すぐれた流通システムになるかもと思いましたが、コインの真正性を都度都度検証するという仕組みは、どこかで計算量が爆発して破たん するように感じています。(このあたり、だれか検証してほしい。。) 間違っていることを恐れずに断言すれば、ビットコインを「仮想通貨」として売っているなら、それは壮大な詐欺ですね。あくまでも、現時点では高値で売れる特殊な財物である、というのがせいぜい正しいところかと。
というわけで、ビットコインネタが思わず長くなりましたが、この辺がゴゴが掘った全体なので、ビットコインの話はこれで終了です。(異論などあれば、コメント欄で受け答えしていきます。もちろん、致命的な間違いがあれば、新規の記事を立てて訂正します。)
しかしこのネタ、調べれば調べるほど興味が深まっております。(あ、以前の記事を読んでない方のために言っておくと、あくまでも、通貨としての有効性に対する懐疑として、ですからね。ゴゴはビットコインはマネー(貨幣)ではない、というスタンスです。)
ま、それもこれも最初の記事に反論コメントを頂いた方のおかげです。ご本人はやりとりが気に食わなかったようで、コメントも消してくれていいと機嫌をそこねてしまったようですが、議論というのは深まってこそ面白いもの。前回記事や今回の記事にも是非コメントいただきたいところです。
***
さて本題ですが、友人より、「ビットコインの発行元や権限、総量管理の方法がわからん」というコメントをいただいたので、前回記事で端折ったこのあたりの話を、毒を食らわば皿までと、考えてみることにします。
1.ビットコインの発行について
まず、ビットコインには、「発行元」という主体は存在しません。(これが、最初の記事に「分かってない」と反論いただいたポイントですね。) ビットコインは、ビットコイン・マイニングプログラムを走らせることで製造されます。
「え、勝手におカネ作ってんの?」と思われるかもしれませんが、半分ホント、半分間違いです。あくまでも「ビットコイン」というデータセットが作られるだけです。そして、ここからがビットコインを通貨として認めるかどうかの議論が分かれるコアになるのですが、「これはおカネである」と認める人にとっては、おカネとして認識されるわけです。ちょっと意味わからないですよね?ここは次に説明します。逆に、これをおカネと認めない人にとっては、価値のないデータセットがどこかで勝手に作られているだけの話です。(ゴゴはこちらの立場)
じゃあなぜこんな勝手に作られたデータセットを、 「おカネ」として認める人たちがいるのか?それは、このビットコインの製造と流通のシステムが、誰かの恣意的な操作で勝手にビットコインを増やしたり、不正な二重使用ができないよう、うまく設計されたシステムになっているからです。(この仕組みこそが、中本論文の要旨です。)
ウェブマネーというのは、物理的な形がないために、それが不正に複製されたものでないことをきちんと証明できないと、誰も使おうとはしません。当然ですよね。「偽札」に交換される可能性の高いシステムを使う人はいません。そこで、通常は信頼性の高い発行元が、電子認証技術を使って一元的にウェブマネーの真正性を管理するシステムを使ってバーチャルなお金を発行・管理しています。
一方で、ビットコインには、冒頭述べたように発行元は存在しません。 Peer to Peer(P2P)ネットワークという自律分散型システムの中で、プログラムを導入したシステムがそれぞれ独自にビットコインを製造しています。しかし、一つ一つのビットコインが他に存在するものと同じではない、ユニークなものであることを確保するために、作ろうとするビットコインがすでに存在するビットコインと同一のデータセットを持ったものでないことを検証した上で、 新しいコインを製造するような仕組みになっています。
一度のプログラム実行(「マイニング」)により製造されるコインは50枚と定義されているようです。最初はそれこそザクザク製造できるのですが、存在する枚数が多くなってくると同時に、製造に参加するネットワークも増えてくると、作ろうとするコインのデータセットが他とカブってないことを確立する検証に時間がかかるようになるため、そう簡単にいくらでも作れる代物ではなくなります。(数学的センスがある方なら、この検算作業が幾何級数的に複雑になっていくことがイメージできるかと思います。)
これと合わせ、ビットコインの年間発行量には、年々逓減する上限値が定められているため、どれだけ多くの人が、どれだけ進化したCPUパワーをもってしたところで、急に総量が膨れ上がることはありません。こうした発行量の安定性・非恣意性が、ビットコインを「おカネ」として認める人たちの論拠の一つです。昔は貝殻が通貨替わりであった時代もあるわけで、それが「信頼できる」となれば、無価値なものでも通貨たりうる、という理屈です。
2.流通管理
さて、こうして作り出されたビットコインですが、使用する段階で、支払先AとBに、ほぼ同時に払い出されたらどうなるでしょう?(より正確に言うと、一度払い出して、不正なキャンセル操作をして密かに取り戻したコインを別の払い出し先に対して使用するケース。もとが同じコインが二重に使用された状態です。)この場合、片方のデータは真のビットコインであり、もう片方は「偽札の」ビットコインということになります。ビットコインの適正管理を保つためには、どちらかのコインを真のもとのし、どちらかを偽とする必要があります。
ここにおいて、ビットコインの管理システムは、「履歴のチェーンの長さ」を真正性の判定に使います。ビットコインのデータセットには、ネットワーク間での取り交わしのログ(履歴)が、過去のものも含めて延々と記録される仕様になっています。そのため、二つのデータセットのうち、より長いログを保有している方、おおざっぱに言えば、先に使用されてより長い取引履歴を持っているビットコインを真とする条件をプログラムに内包させています。
ビットコインの使用履歴は、ほぼ瞬間的にネットワーク全体に共有されるので、後追いで不正に二重使用されたコインはより短い履歴になっており、製造段階で同じユニークネスIDを持っていて、ログの長さが異なる二つのコインが検出された時には、ログの短い方のコインを拒絶する仕掛けになっています。
ビットコインの流通を受け入れるシステムの中では、こうした検証作業がひたすら行われており、先に使用されたコインを不正に二重使用をしようとするならば、ネットワーク全体の過半の検証作業能力を上回る演算能力を持って、先回りして後に使用した方のコインの真正性証明(プルーフオブワーク)を作成しなければいけないのですが、こうしたことを可能にするのは現実的にほぼ不可能なレベルであるという、確率論的な立証によって、ビットコインの受け取りと流通に関する信頼性が実現されています。こうした不正使用に対するハードルも、ビットコインを貨幣としての信頼性を語る論拠の一つとなっています。
3.ビットコインを貨幣(マネー)とすることの矛盾
このように見ていくと、ビットコインを支える理論ベースは、それなりに正統性を感じさせるものになっています。しかし、やはりビットコインを貨幣として、世の中の決済を塗り替えようとするには、いくつかの無理が存在しているように思われます。
●将来の希少性を理由とした価値の急騰と、貨幣としての機能の矛盾
ビットコインは、適正な流通量を維持するために、年々の発行上限を決めており、だんだんとそれが逓減していくモデルのため、最終的なマーケット流通量には理論的な上限値があります。こうした入手可能性の限定をタテに、数量が限られたビットコインは将来価値が上がるとのあおりを受けた人たちが、我先にとビットコインを買いに走ってその価格を釣り上げています。
しかし、貨幣というのはあくまでも価値交換の媒介物であって、本来それ自体の価値が大きく変動するのでは、貨幣としての機能を果たしません。逆に、論文を離れたところでのビットコインの説明においては、ビットコインは希少性により価値が認められた、金(ゴールド)のようなものである、との説明もみられます。 ここにおいて、ビットコインは、通貨(マネー)と、資源(金)との微妙なすり替えを行っています。
確かに、製造量(採掘量)に限界があり、製造上限(埋蔵量)にも限界があるという仕立てにおいて、金とビットコインは似ています。しかし、金は現代の世の中にあって通貨ではありません。装飾材料としての根源的な高い価値が認められる中で金の取引マーケットは存在しますが、それでも金はマネーではありません。
同じようなマーケット構造は、古い切手の交換売買のマーケットにも見られます。一部の切手マニアには、特殊な切手に対する彼ら固有の価値観を持って、高額であっても入手しようとするマーケットが存在します。ビットコインが希少であるということをもって、取引市場において加熱した取引がされているということは、ビットコインがこうした特殊な切手と同じような存在であることの証明であり、同時にマネーではないことの証明になります。
説明によっては「仮想のゴールド」などとうまくいわれているがために、「仮想通貨」として受け入れられているようですが、それが仮想の「金」であれ、「切手」であれ、あるいはゴゴがかつてあつめた「牛乳ビンのフタ」であれ、ビットコインはおカネではないし、そいうした特殊な収集ニーズの中でたまたま今、取引マーケットが過熱しているだけ、ととらえるのが正確だと思います。
●ビットコインを貨幣(マネー)とすることの技術的矛盾
先の項では、ビットコインは貨幣ではないとの理屈を展開しましたが、仮にこれを貨幣だと認めたとすると、どんな問題があるでしょうか?
ビットコインは、中央管理的な仕組みにかわって、とあるビットコインの流通の適正性を、その都度ネットワーク全体で検証検算を行うことで、いかなる権力からも解放された貨幣流通を実現することがその本質です。しかし、こうした思想とそれを実現する仕組みの中に、ビットコインが現実のおカネに成り代わる可能性がないという技術的な限界を内包しています。
通常、おカネを使う場合に、そのお金が偽札がどうかを検証したりしないですよね?それは、現実的なマテリアルとして、偽札を作ることのむずかしさが、一元的に管理されているからです。一方、ビットコインは、偽物を作り出すことよりも、偽物が流通することを、ネットワーク全体の中での相互監視によって阻止しようとすることがベースにあります。例えていうなら、あなたがとあるお札を使おうとするタイミングで、そのお札と同じ番号のものが、以前に別のルートで使わて別のところにないか?ということを何らかのシステムを使って都度都度確認するようなシステムです。
もちろん、そうした計算はP2Pネットワークの中で無数に連結されたコンピューターの共同作業によってなされるので、瞬時に終わることが期待されています。しかし、ビットコインの存在量と流通速度が格段に増えた時に、こうした検証作業が適切な時間の中で完結するとは限りません。
先に述べたように、ビットコインの年間産出量とトータルの累積算出量については、理論的な上限が設定されています。これについては、その必然性が中本論文では語られていませんが、おそらく、無制限にビットコインが製造・流通されるようになると、プルーフオブワークを検証する作業がスタックしてしまい、取引が成立しない状況になることを懸念したことによるのではないかとゴゴは推測します。(CPUの演算パワーが今後も飛躍的に改善しつづければ総量規制をしなくても問題は起きないかもしれませんが、保険をかけておく方が、ビットコインシステムを長く運用したい方にとっては有用ですよね。)
しかし問題は、おそらくビットコイン作成者が想定しなかったであろう、急激なビットコインの取引増加です。1ビットコインは2013年12月1日現在で、約10万円ほどに高騰しているようですが、使用単位が約10万円では、使い勝手が悪くてしょうがないですよね?
ビットコインは、コイン価値の変動に対応して、最大1億分の1ビットコインまで分割して使用できるようになっているようです。しかし、現在のように高騰してしまえば、実質上の使用単位は1ビットコインよりも小さな単位になってしまっているはずで、いくらビットコイン単位での流通量を制限しようとも、0.01ビットコインとか、小数点単位のビットコインが実際上の流通単位になってしまえば、プルーフオブワークの処理量は、それに応じて急激に増加するはずです。
ビットコインの持つデータセットは、ある一定量で過去のものを捨てても大丈夫なように設計されているようですが、その制御されたデータマックスで流通上限の1億倍(1億分の1ビットコインが現在の最大分割単位なので)の処理をP2Pネットワークの能力で完全にこなせるのか?
もし、絶対に取引事故が起きないように数量設定されているとすれば、現実世界で使用できるよりもかなり少ない取引総量でハードルを設定するはずですし、逆に、現実世界の貨幣をすべてリプレイスする思想で設計されている場合、 現実世界での想定取引量よりも多くの取引が発生してしまえば、そこでビットコインでの取引はダウンしてしまうのではないかと思います。
つまり、ビットコインが安全に、適度な処理速度で活用できる範囲というのは、現実世界での取引の総量よりも小さい、つまり貨幣としても認められてもその流通範囲が小さく限定されたものにしかなりえないのではないか?というのがゴゴの仮説です。(あくまでも、ビットコインが貨幣として認められ、安定的に使用されるとした前提です。くどいですが、ゴゴはビットコインは仮想ゴールド(または仮想の牛乳ビンのフタ)とは認めても、マネーとしてはみとめてません。)
上記の仮説がもし本当であり、ビットコインの現実世界での使用可能性が、通常のマネーよりも小さいのだとの理解がうまれてしまった瞬間、ビットコインは致命的に急落するでしょう。 世界中のユーザーにとって、ビットコインが日本の多摩地域の中でしか、あるいは牛乳ビンのフタを集めている小学生の中でしか通用しないとなれば、だれもそれを保有しようとはし続けませんよね。
4.まとめ
というわけで、
・ そもそもビットコインはマネーではない。なぜならば、製造のタイミングでは、プログラムにより生み出される、何らバックアセットをもたないデータのカタマリにすぎないから。「仮想ゴールド」と例えられるように、あるいはゴゴが「かつて集めた牛乳ビンのフタ」と揶揄するように、その特殊な価値を求める人にしか価値のない、特殊な財物である。
・ 仮にビットコインをマネーと認めて流通させたとしても、個別の仕様タイミングでその通貨の真正性をネットワーク全体で都度都度検証するという仕組みには、能力的限界があるのではないかと思われる。 あるいはもし、ビットコインが世界全体での貨幣流通を支えられるシステムであるとするならば、ビットコインに将来的な希少性などなく、やはり現在の価格は100%バブルであるといえる。
(日常使われている貨幣に、希少価値を感じて高値で集めるバカはいないですよね?)
いずれにしても、ビットコインはその理論を追ってみると、最終的にどこかで矛盾が発生します。しかし、ネットワークセキュリティ理論と、二重使用リスクの発生確率論と、貨幣発行・管理の正統性という、なかなか重ならない領域の専門知識を組み合わせて作られているため、その矛盾に気づきにくい内容になっている、というのがゴゴの所感です。
結構精緻な理論構成に、ひょっとしたらビットコインの生成段階できちんとアセットバックが担保できれば、すぐれた流通システムになるかもと思いましたが、コインの真正性を都度都度検証するという仕組みは、どこかで計算量が爆発して破たん するように感じています。(このあたり、だれか検証してほしい。。) 間違っていることを恐れずに断言すれば、ビットコインを「仮想通貨」として売っているなら、それは壮大な詐欺ですね。あくまでも、現時点では高値で売れる特殊な財物である、というのがせいぜい正しいところかと。
というわけで、ビットコインネタが思わず長くなりましたが、この辺がゴゴが掘った全体なので、ビットコインの話はこれで終了です。(異論などあれば、コメント欄で受け答えしていきます。もちろん、致命的な間違いがあれば、新規の記事を立てて訂正します。)