前々から一度書きたいと思ってたテーマなのだけど、東大が地方女子を対象に3万円家賃補助するとのニュースを見てちょうどいい例だと思ったので書くことにする。一言でいうと、企画力がある・ないとはどういうことか?という話である。


まず、一般的にはどうなのかは知らないけど、個人的には「問題」と「課題」という言葉を割と意識して使い分けている。問題と課題は別のものだ。
 
問題はまさに「困っている問題」であって、何とか解消したい事象そのものだ。今回の東大の件について言えば、「志願者、在籍者ともに約20%にとどまる女子学生の比率」が「問題」にあたる。(そもそもそれは解消すべき問題ではない、という問題選択の議論は置いておく。)

そしてこの問題を引き起こしている背景要因であって、問題の解消に向けて手を打つべきコトが「課題」である。

様々な背景要因の中で、何を課題として捉えるかは、政策にせビジネスにせよ、おおよそ企画業務を担う者にはスキルとセンスが求められるところだけど、その優劣を左右するのが「構造的理解」だ。

いまでも残ってるか知らないけど、リクルート時代にまとめた、「見立てるー仕立てるー動かす」という仕事に必要な3つの力のうち、見立てる力の一要素として、物事を構造的に理解することを掲げた。しかし「構造的に理解する」とはどのような事なのか?ここはあまり伝えきれておらず、中の人によっても解釈がマチマチだったりする。

構造的理解とは、ただ単に問題の背景事象をMECEに(=漏れなくダブりなく)切り分けることとは少し違い、様々な背景事象がどう互いに絡み合って一つの問題を生み出しているのか、事象間の関係性や力学をも含めて理解することだと自分は考えている。

例えば、点と線だけでできた柔らかいフレームだけの立法体を想像してみる。一つの点から、対角の点に向けて押したらどう形はどうなるか?もしある点とある点の間のフレームのみが硬かったらひしゃげ方はどう変わるのか?そういう動的なイメージを持って全体の形(問題)と点(課題となりうる背景事象)、線(事象間の関係性)を捉えること、それが「構造的に理解すること」のイメージだ。

この力学やベクトル的な理解はMECEだけでは捉えきれず、特に人が背景事象に含まれてる場合には受け手の認識や解釈が含まれるので、問題を構造的モデルとして完全に表現することは難しい。どうしても個人の脳内でのイメージ理解に頼らざるをえないところがあって、それゆえにそこからどの事象を解決すべき課題として選び取るかは、かなりその企画担当者の実地経験やセンスに寄ってしまうところがあるとは思う(=これがいわゆるインサイト)。

ただし、問題と課題を切り分けて考え、できる限り構造的に問題の全体像を理解してから解決策の検討を行うという行動姿勢をおさえておくことは、企画を担当する者にとってはパフォーマンスの優劣を左右する重要なスキルになる。

「誰々は企画力がある/ない」というのは、つまりはこういう物の考え方を理解してどこまで実践できるかどうかによる。もしいま企画を担っている、あるいは将来企画を担当したいと考える若い人の参考になれば幸いである。


さて、オマケの話になるが、ここで改めて東大の打ち手はどう見えるだろうか?タイトルだけを見ると、女子学生が少ないから女子にインセンティブをつけるという、問題をそのまま課題として解こうとするアホに見える。ただし、記事を読むと、「地方女子の親の住居環境に対する不安」を課題として打ち手を考えたことが分かるので、多少は合理性が増すように感じられる。

しかしながら、本当に問題の構造的要因を理解して打ち手をしっかり練ったのかはよく見えない。記事に書かれていないこともあるだろうし、東大の施策を論評することが本記事のテーマではないので深入りはしないが、そこを押した時に「地方の困窮男子はどうするんだ?」という当然の批判が出てくるあたり、「とある要素に力を加えた際の、問題事象に作用したの後の形」が見えておらず、つまりは構造的理解や核心をついた課題選択ができていない気はする。


以上、問題と課題を切り分けて、構造的理解をすることが大切よ、という話。