ごぶさたのゴゴログです。

「日本死ね」ブログの影響で保育園問題が沸いとるようですね。まあウチも子どもが小さいしカミさんも働いてるので事情も気持ちもよく分かりますが、デモなどに対する情緒的な賛同の風潮を見ると、認識の甘さ浅さをつい感じてしまいます。

保育園が見つからないことや保育士の給与水準そのものについては確かに問題だと思いますし、実際ゴゴログ当初の記事(http://gogotomo.ldblog.jp/archives/24992853.html)で、マーケットメカニズムに任せて需要を満たす制度的解決策をすでに書いてますんで、本当にやっていただければとずっと思っとります。

ただ、やっとこさ一連の騒動で保育コストの話しも出てきてますが、保育士にそれなりの給料出す前提で素に保育料払ったら平均で10万円くらいは上がるんじゃないですかね。

現状の施設補助の組み替え等で手当てするにしても万単位の料金アップは見込まれるわけですが、それでも「もっとカネを払ってもええから希望したら入れるようにしろ」と言ってるのか否か?ここが本来は論点になるべきところだと思うんですけど、あまりそういうリアリティある選択をデモ等の主張からは感じられません。

まあ実際そんな話しをしようものなら、「いやいや、少子化対策だろ、1億総活躍だろ、それくらい予算でカバーしろや!(負担アップなんか認めん)」という怒涛の反論が来るんでしょうけど、待機児童問題って、そもそも何のためにどの程度のお金をかけるべきものなんでしょう?このあたりの問題の位置付け方が甘いというか何も考えられてないように感じてしまい、それでどうも一連の動きに心底同調できないワケです。

上記の「万単位の料金アップ」を仮に月平均5万円と置くと、子ども1人あたり年間60万円の補助、年間出生数が100万人なので対象の0〜5歳人口は約600万人、補助対象をざっくり半数と甘く仮定しても、年間1.8兆円が必要です。

じゃあそれで少子化対策になるかと言えば、こちらは非婚化が主要因で直に効く話しでもない。仕事と子育てで苦労してる姿をみて若い人が結婚しないんだとか、あるいは労働力確保または幼少時教育の重要性など、大局的な必要性とリクツを整理できればもちろん検討の余地はあるでしょうけど、都心部の一部地域で保育園に入れなくて困ってるんですという話しだけなのであれば、個別の可哀想な状況ではあるけれどもこれだけの予算を投じる意義は残念ながら感じられません。

(誤解なきようあらためて言っておくと、だから保育園問題を放っておけばいいと言ってるワケでなく、冷静に考えれば親の側も一定の負担を覚悟しないとただ何とかしてくれでは解決できんですよ、ということです。)

保育園に月10数万円かかるとなれば、高くて何のために働いてるのかと文句が出るでしょうけど、個人の将来のキャリアと収入を維持するための一時的経費だと思えば本来自ら負担しておかしい話でもないわけで。


たまたま先日知人が子育て支援は政治へのロビーが足りんとつぶやいてたんですが、その手の仕事に片足突っ込んでる立場からすると、本件に見られるように、それ以前の意見集約も論点整理もできてないのが問題と感じるわけです。

老人医療費よりも子育て・少子化対策にリソース回すべきなのは基本賛成なんですが、どこにナンボ突っ込んだらどうなるのというところが説明できないと、過去自ら払い込んだ保険料を原資に余生の健康と寿命という切実な問題に突っ込んでるカネをジジババから取り上げるのは簡単ではないですな。

このあたり、デモってる方々や何となく論調に乗っかってる方にはもう少し深く考えていただきたいところです。

さてさて、デモをクサして文句垂れてるだけなのもアレなので、どうせカネ使うなら貧困家庭の教育支援にまわして欲しいと簡単にいい人ぶって終わりにしておきます。