昨日の安保占いのゴゴログ記事について、某先輩よりルールはルールなんだからやはり違憲は問題じゃないの?というコメントをいただいた。ブログは少しおふざけ入れてて違憲反対派もサクッと切ってしまってるけど、ここはやはり一番悩ましい問題ではある。。

他にも文章に知性が感じられない(むしろ品性だと思うけど)という評価もいただいたりで、昨日の記事は似た意見の人にはウケるけれど、違う意見の人には届きにくいよなと振り返っておるところです。「ちっ、反省してま~す」(・・ついやってしまう。。品性が低いのは認めますw)


さて、いただいたコメントには、ルールと現実が乖離してる場合、ルールを後から見直したり適用を曖昧にしておくの一つの知恵ではないかとお答えしつつも、納得してもらえる答えだっただろうかと少しモヤモヤ感があったのだけど、ふとかつて刑法にあった尊属殺重罰規定に関する裁判経緯を思い出した。 
この事件では、本来、法定刑としては死刑または無期懲役しかかなった刑罰を法曹関係者があれやこれや知恵を絞って執行猶予にまでしちゃった訳だけど、法の適用において最も厳密たるべき刑法事案でも、状況によっては必ずしも「ルールはルール」だけではないということがわかる事例かと思う。詳細は下記リンクの裁判経緯など見ていただければ。

(リンク)尊属殺法定刑違憲事件  
 
(最後は「違憲判断」というルールに則っているともいえるけれど、当時の違憲判断理由もバラツキがあり、実情に合わせてルールの適応をひとまず保留したというほうが本質に近い。尊属重罰規定そのものがなくなったのは最高裁判決から22年後。)


さて今回は憲法9条自体の現状適合性が問題になるなか、最高法規たる憲法自体が「ルールとして間違っている」という切り抜け方はできないわけで、とはいえ現状からすれば不可欠な安保法制を立憲体制の中でどう飲み込むのか?やはり、「憲法違反だから認められない」というよりは、そこが知恵の絞りどころじゃないかと。

で、9条を後追いで変えるのがスジだとは思うものの、現実的にはほとんど不可能だし、むしろ個人的には多少整合性がとれなくても変えない方がいいんじゃないかと思っている。

安保法制と9条の微妙な矛盾を抱えながらも、そのままにしておく方が最後は9条があることで「日本は平和を希求する国家である」という、ほとんど全員の日本国民が大切にしているスタンスを対外的にも維持できるし、安保法制の適用において大きな逸脱の懸念がある場合には、その時こそ「憲法に違反している」と抑止を働かせることができるわけで、それを「法的整合性」のために変えて実質的に得られることは何なのか?と考えてしまう。

そう考えると、「自衛隊」なんて言葉のまやかしで、うまく現実との渡りをつけた先人はさすがですな。


いずれにせよ、何度も言っているように問題は国内だけ見ての話ではなく、アメリカ・中国それぞれが急速に変化している中で、単に「違憲だからダメ」と留まっていられる状況ではないですし、かといって「違憲だけど仕方ない」とも軽く見ることでもないので、ここからが本当に議論を深めていくところじゃないですかね。

今回はあまり締りもヒネリもありませんけど、そんなところで。