前回のつづきです。

「家計の担い手」と「おこづかい稼ぎ労働者」で、昔は二つに分かれていた労働市場が、近年混じり合ってしまっているとの考えを前回お話しましたが、その背景は何か、ありていに言えば、日本における製造業の衰退とサービス産業の発展です。

工場労働が減り、仕事にあぶれれば、当然需要の拡大する別の産業分野に移動しようと考えます。一方で、サービスセクターの側も、ビジネスの拡がりの中で、より多くの労働力を必要とします。ここで、従来は製造業で働いていた人のサービス産業への流入が発生します。

ところが問題は、飲食・小売の接客や、事務派遣などをはじめとするサービス業は、その成り立ちにおいて、学生やパート、あるいは昔の良き時代?のフリーターによって支えられてきたことから、今でも平均的に賃金水準が低く、場合によっては各種社会保険を必要としない働き方が基本前提になって、労働市場の相場が出来てしまっています。

この結果、「家計の担い手」と「おこづかい稼ぎ労働者」が、同じ労働市場で競合することになります。当然、雇う側としては、安い方が基本的にはいい訳で、「家計の担い手」の賃金水準その他待遇も、「おこづかい労働者」の方にひっぱられます。

近年、派遣や契約社員などが非正規労働として、正社員との待遇格差が問題視されていますが、そこはまさに、かつて分かれていた二つの労働市場が重なり合う主戦場であるが故に、問題が大きく顕在化したものとゴゴは考えます。派遣や契約労働といった雇用制度そのものが悪いわけではなく、格差のある労働条件でも、一定数の満足する労働者が存在し、そこに業界水準が引っ張られている、ということが問題の根本なのではないかと思います。
(もちろん、正社員の雇用保護が強いがゆえに、しわ寄せが非正規にいっている、というよく語られる構造も、別の話としてありますが。)

というところで、表題の「学生バイト・主婦パートの規制」という話ですが、少し乱暴な結論から言えば、「おこづかい稼ぎ労働」の引き締めを行い、「家計の担い手」にとっての賃金水準を引き上げる方向に持って行くことが、社会的な公正の観点からは、必要ではないかということです。

こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、「賃金水準とか社会保障なんてどうでもいいから、ヒマな時間でちょっとしたおこづかいを稼ぎたい」というような、ある意味労働力をダンピングするような労働者の存在に引きずられて、家計を支えるために一定の賃金水準を必要とする「家計の担い手」の収入が場合によっては生活保護費よりも低いなんて状況は、どう考えても社会的に正しいとは思えません。

(現実には、学生バイトや主婦パートとはいえ、学費や家計の支えのために働いている方も多くいらっしゃるので、そうした皆さんまでひっくるめて、ヒマなのに働いている、というつもりはありません。念のため。)

賃金水準の引き上げは、企業や経済全体への影響も考えて議論するべき話ですが、ちょうど最近話題になっている吉川洋先生の新著「デフレーション」においても、日本のデフレの根本原因には、日本特有の賃金水準の切り下げがあるとの見方をされているようなので(買ったんだけど、まだ読めてません。。→読みました!良書です!)、経済全体の観点からも考えるに値することではないかとゴゴは考えます。
デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する [単行本]


では、「おこづかい労働」の引き締めって何よ?どうすんのよ?ってところなんですが、またまた長くなってしまったので、また次回。(いつも引っ張るカタチですみませんが、それだけ本質は深いものだということで。。。スミマセン。)


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