前回、今の日本の大学では、学問という観点で個人が社会に出て役に立つようなことはほとんどない、本当に教えるべきは「教養」であり、カギは数学と哲学だ、とお話ししました。今回は、そのつづきです。

まず、「教養」とは何か、ですが、日本語で言う教養には、雑多な物事の薀蓄を知っていることだったり、知識を多く蓄えていることをベースとした、人間の品性に関わることだったり、色んな意味があります。

しかし、今回お話ししたい、大学で教えるべき教養とはそういうことではなくて、リベラル・アーツ、「自由な存在であるための知識・技法」のことを言っています。
(で、何でそういう意味での教養なの?というところは、後で説明します。「社会に出て個人の役に立つ学問、というテーマから、少し遠くなってしまうので。。ヒントというか、ほとんど答えは初回の記事を見ていただければ分かるかと思いますが。)

こうした、「自由な存在であるための知識・技法」という観点から考えた場合、数学・哲学の他に、ディベートなどの議論のための技術、そして現代的には、ITブログラミングや、デザインによる視覚的な表現技法を、「教養」として教えるのが適当だと考えます。特にプログラミングやデザインといった、「作って、見せて、納得させられる」技術は、スピードが求められるにも関わらず理屈にばかりにこだわり、結局はチャンスを逃すというありがちなワナから、個人が脱するための重要な技術だと思います。

ただ、それらの現代的な技術には、強力な「場を動かす力」がありますが、使えるシーンや相手、タイミングが限られます。(例えばITでもデザイン企業でもない普通の会社に勤める人なら、なんの議論もなく、いきなりプログラムを動かしたりスケッチを見せるだけでは、必ずしも人や組織を動かせないことは当然のことと理解いただけるでしょう。) やはり、ロジックやスジ・本質といった、根本的な「考える力」がどんなシーンでも求められるのであり、その「考える力」を磨くための材料として、数学や哲学はうってつけの学問なのです。

で、数学や哲学といった、小難しそうで回りくどそうで現実から離れたようなイメージの学問を学ぶことが、社会で活躍するための「考える力」に結びつくのか?ということですが・・・思ったより長くなってしまったので、また次回に分けさせてください。


しかし、整理するとこんなにかかるとは。。これだけの内容の下地を共有せずに、これまでFacebookなどで断片的に色々コメントしてたのかと思うと、ちょっと何とも言えない感じですね。勝手につぶやいてただけなので、誰かに迷惑かけてたワケではないと思いますが、独りよがりというか。。単に今回のまとめ方が悪いだけかもしれませんけど。もっと短くしろとか、分かりにくいとか、率直な感想あればお待ちしています。

(つづく)