ゴゴログ

ゴゴトモヒロがモノゴトの本質を考えるブログ

Facebookのゴゴログページを「いいね」してもらうと最新記事のお知らせが届きます。

労働生産性が低いのは日本人の働き方が非効率だから・・・なんて誤解に振り回されてたら余計に経済成長できないかもよ?

ごぶさたしております。最近なかなかゴゴログで書こうという意欲が湧いてくるネタがあまりありません。

それというのも、安倍政権がなかなスキなく手堅い政策方針を打ち出してくるからなわけで、「オマエ何言ってんだよ、分かってね~なww」的な香ばしい話が大好きなゴゴとしては、少々物足りない日々だったりするわけです。(笑)

そんな中、最近結構ハマっているNewsPicksを見ていたら、こんな記事が。。。
・「日本人の生産性」は先進国で19年連続最下位 非効率なホワイトカラーの働き方はどう変わるべきか

NewsPicksはいろんな方が記事に各自のコメントをつけられるニュース・キュレーションサービスですが、ものの見事に「日本人は働き方が非効率。無駄に長時間労働しすぎ。もっと効率的に働かないと!」みたいなコメントにあふれておりました。

しかし、労働生産性が低いのは、日本人の働き方が非効率だから」というのは全くの誤解です。

悲しいかな、記事で紹介されているような業務支援システムを入れていくらシコシコ効率化を図ったところで、システム屋が儲かるだけで労働生産性はあがりません。


続きを読む

ビットコイン問題4・仮想通貨で結局世の中何が変わるのか、そしてその課題とは。

ゴゴログ、久々の更新はこれまた久々のビットコインネタです。

以前の記事では、Mt.Goxの破たんを機に、ビットコインの価値は急速に落ちると予想していましたが、350ドルを切るところまで徐々に値を下げたあと、ここ一月ほどはおおむね400ドル台で安定しています。 ビットコインの金銭価値について懐疑的であることにはかわりありませんが、「価値が急速に落ちる」との予想は外れですね。。

さて、そうしたワケで、安定しているがゆえに最近はマス的にはあまり取り沙汰されなくなくなったビットコインですが、「仮想通貨」の意義については色々と議論は続いているようで、ゴゴログ的にも視点を変えて、「つまるところ仮想通貨とは何なのか?」を考えてみました 。まだちょっとアタマの中が整理されきっていないところもあり、やや生煮えかもしれませんが、ちょっとまとめてみます。



続きを読む

「みなさん、選挙に行きましょう!」って、本当に意味あんの?というハナシ

それほど時事的でもないですが、選挙の話です。
近頃、選挙がある度に、「明るい選挙推進協会」(どれほどの存在意義があるんだろ、ここ?)の回し者でもなかろうに、SNS上に「みなさん、選挙に行きましょう!」的なメッセージがあふれるのにうんざりした経験ないでしょうか。

正直どうでもいい話なんですが、最近あまりにもネタがないところ、おときた駿さんの
どうして、選挙にいかなきゃいけないの?-よいこのみんしゅしゅぎ- 
というブログエントリーを見て、じゃ、埋め草程度にこのハナシでもするか、ってくらいの今回の話です。

上記のブログでは、現在西宮市長選に立候補されている今村氏がつくられたとの紙芝居を紹介しており、紙芝居の内容は、こどもにも分かりやすく選挙投票の意義を説明しているものなのですが、これを見たコメントとして、「分かりやすい」とか、「選挙の大切さがあらためて分かった」的な反応があったりするのを見ると、「は?」と感じてしまいます。

ま、こども向けには十分意義ある内容で、おときた氏にも今村氏にも別に噛みつきたいわけではないですが、大人がこれ見て「そうだ、選挙、行こう」的なメッセージを発しているのを見ると、そんなこといまさら感じ入る程度なら、オマエは選挙いかんでエエ、と少し毒を吐きたくなるわけです。


確かに選挙権というのは、絶対的な王権に対して議会が対抗するようになり、その議会議員を民主的に選べるようになったという歴史的経緯のなかでは、非常に大切に守るべきものです。(まっとうな大人であれば、子供向け紙芝居ではなく、過去の人々の多くの血の代償のもと権利を獲得した歴史に感じ入って欲しいところ。)

なので、選挙権そのものが制限されるような事態に対しては、頑として行動するべきだとは思いますが、個別の選挙において、大して興味関心もないのに、「選挙は大切」程度のホワっとしたキモチでロクに知りもしない候補に投票したところで、 何の意味があろうかというもの。それって単なる自己満足じゃないですかね。それを、大上段に「選挙に行きましょう!」なんて言われると、ウザいことこの上なし。

問題は、選挙の争点や候補者の主張に関心を持つことであって、ちゃんと考えたけど結果的に選ぶポイントもないから棄権して遊びにでかけるってのは、決して悪いことでもなく合理的な行動なんじゃないでしょうか。逆に言えば、有権者の関心を高めるような、選挙における争点や候補者自身のアピールを明確にできていないことや、そこにきっちり切り込めていない報道に問題があるのであって、そうした争点が明らかでないにも関わらず、「選挙に行かないのは意識低い」的なスタンスでモノ申されると非常に感じが悪いっす。

ま、棄権するにせよ白紙投票するにせよ、その場合には政治に文句を言う権利を投げた、という心構えで文句言わずいてくれればいいワケです。で、後悔することがあれば、次は選挙にいけばいい。どっちかっつーと、一時的なノリで山本太郎を当選させて鈴木寛を落とすなんてノイジーな投票は控えて頂く方が、世の中のためになるのではないかと思うところであります。以上。

投票率100%の国がいい国かどうかと考えれば、一概に投票率が低いからダメ、というわけでもないのは自明ですね。では。
 

新入社員のあなたが必ず知っておくべき本質的な2つのこと

すみません、タイトル、ライフネット岩瀬氏のブログをパクってます。笑
(注:旧題は「入社7日目の明日から気をつけた方がいいこと」でしたが、もはや1年経ってイミフだと思いますので改題しました。2015.4.1)

入社2日目の明日から試して欲しいこと


新たに社会人になった若者に向けて書かれたこの記事、プチ炎上してすったもんだしたせいで、結局何が本当に重要なことなのかよくわからなくなった若い人たちも多いと思うので、これから社会に出て活躍していくために大切な、本質的なポイントを2つ、ゴゴログ流に解説しましょう。
(ちなみに、転職したばかりの人、これから転職しようとする人にも共通するハナシです)


その1~「信頼残高」という考え方

岩瀬氏のブログでは、新社会人へのススメとして、「毎朝、定時より30分前にきっちりした身なりで出社し、新聞を読んでなさい」と書かれています。見方によってはオールドスタイルなこうした社会人のあるべき像が、最初の炎上の対象になったわけですが、本当に重要なポイントは、その後に続いていた部分にあります。

簡単なことだが、もしこれを1年間、1日も欠かさず続けることができれば、1年後には皆さんの社内における信頼は確実に高まっていることだろう。

 昨年も同じ趣旨のことを書いたが、まず一年目に目指すべきは、社内で信頼される人間になることだ。きっちり仕事をする人だと信頼されている人には、多くの仕事が回ってきて、その分、成長も早くなる。
 
朝30分早く出社することや、毎朝欠かさず新聞を読むこと自体が重要なのではなく、いかにして組織内での自分に対する信用度を高めるか、これこそが新しく社会人になった人達が気をつけるべきことです。

聞いたことがある人も多いかと思いますが、「信頼残高」という考え方があります。もしあなたが何か良いアイディアがあって、新しい取り組みを始めたいと周囲に働きかけた時、単にアイディアが良ければ受け入れられて実現するかといえば、そう簡単でもありません。

ちょっとした改善提案くらいなら可能かもしれませんが、ヒト・カネ・時間といった何らかのリソースが必要な場合、そのアイディアに周囲や組織が乗ってくれるかどうかは、あなたの組織内での信頼度に大きく左右されます。信頼度が大きければ、ちょっと不安要素があるチャレンジでも認められる可能性が高くなりますが、信頼度が低ければ、本当にいいアイディアであっても、周囲は耳さえ傾けてくれない、ということも起こります。

あるいは、岩瀬氏のコメント通り、あるチャレンジングな(=失敗の可能性も大きい)重要なタスクを誰に任せるかを考える際、そうした仕事は信頼度の大きなメンバーに回されるわけです。そして、この信頼度というのは、あなたの地頭の良さやクリエイティビティというスキルではなく、日々の行動に対する「周囲からの見られ方」によって積み上げられていくもので、自分の信頼を「貯金」して、その残高をあげていくことが大切です。

残高が十分大きければ、最初のチャレンジングな仕事で仮に失敗して、少々残高が減ってもまたチャンスは巡ってきますし、成功すれば残高がさらに増えて、より大きな仕事がまわってくる。組織とは、そういうメカニズムで動いています。

中には「計算高く」動くことを潔くないと考える人も結構いるかと思いますが、少なくとも自分が気づかないうちに損をしない程度には、こうしたことを心をとめて日々の行動を振り返ることは決して悪くありません。


その2~組織風土との相性 (Cultural Fit)

さて、入社してしばらすると、少しは慣れてきて周囲の状況や会社の雰囲気も分かってくるでしょう。そうした中で、「毎朝、定時より30分前にきっちりした身なりで出社し、新聞を読むことが、会社的には好印象につながりそうなのは分かった。でも、ラフな格好でさっさと仕度し、出社前はスタバでギリギリまでネットで情報収集する方が絶対に効率だよな~」と、違和感を感じる人もいるでしょう。

学生の生活から会社に勤める生活へと大きく変化する中では、様々な違和感を感じることは当然です。しかし、それが環境変化によってもたらされる一時的な違和感なのか、組織と自分の相性=cultural fitからもたらされるものかをよく気をつけてみておくことは、「信頼残高」を積み上げることと同時に気をつけるべき(あるいはそれ以上に)大切なことです。

あなたには、あなた独自の価値観がある。そして、会社にもその会社固有の「風土」があります。組織風土というのは、中にいる人間でもなかなか明確に言語化できないのですが、その組織の価値観を反映してできあがっています。なので、当然、人間同士と同じように、あなたと会社の価値観が合わないこともあります。

このあたり、就職活動の中でしっかり見極められればいいですが、まあ大抵はムリですよね。入ってしばらくしてから、徐々に感じることが普通でしょう。岩瀬氏の冒頭のブログが、ある方面からは「社畜のススメ」みたいに見られたのは、こうしたcultural fitの多様性に関わらず、ある一つのスタイルが正しいこととして押し付けられたように感じられたからだと思われます。

しばらく働いていても、どうも会社で好まれる価値観と自分の価値観が合わないことはあります。自分の考え方を変えていくというのは、一つの方法です。あまり自分にこだわりすぎるよりも、違うものの見方・学び方を吸収して、視点や物事に取り組むスタイルを複数持てるようになることは、単なる知識を学ぶよりも、よっぽど人間的成長につながります。

しかし、どうしても折が合わないことも当然あります。そこを我慢して、会社では会社に合わせて生きていく・・まさに立派な「社畜」への道ですね。人間、自分が好まない事をやり続けることはできません。30分早く会社に行くとか、新聞を読み続けることは習慣化できるかもしれませんが、そうしたスタイルを好む風土・価値観が合わないのであれば、そうした組織の中で信頼残高を大きくしていくことは、多分ムリです。

そうした場合は、別の環境を探した方がいいでしょう。ただし、「会社が合わなくて1か月で辞めました」なんてのは、それこそ信頼残高が超マイナスからのスタートになるので、3年とは言わずとも、1年はしっかりと言われた通り働いて、周囲の先輩たちともよくコミュニケーションとってみて、会社の中身をしっかり見極めてから、cultural fitに問題がないか考えることをおススメします。
(転職を考えてる方にとっては、cultural fitはよりセンシティブな問題です。見た目の条件に惑わされることなく、しっかり見極めてきめましょう。)

さて、長々と書いてきましたが、以上はDrucker School留学時代に、HBSでも教鞭をとられていたSathe教授にならった内容がほぼそのままベースになっています。 というワケで、ゴゴの主観でも成功体験でもなく、むしろ価値あることを習っておきながら全く出来てない自分の姿に心痛むくらいのハナシなのですが、その分若い人にはきちんと考えてこれからの社会人生活を送ってほしいと思います。

ちなみに、「毎朝、定時より30分前にきっちりした身なりで出社し、新聞を読んでなさい」と言われて素直に実行し始めた方々、その習慣(と素直さ)は決して悪くはありませんが、その通りやったからといって本当に信頼残高が大きくなるかはその会社の風土次第なので、なんでも表面的に鵜呑みにせず、ちゃんと自分のアタマでやり方考えた方がいいですよ!
(少なくとも今さらそのままやってる新人の姿を自分が見かけたら、お前アホかwとツッコミます。)

未来の教育について 〜ネットの発展で、むしろ「良い大学」がより求められる時代が来ますよと〜

最近、MOOCs (Massive Open Online Courses:大規模公開オンライン講座の略とのこと、今回調べて知りました。。)とか、ネット技術の発展により、色んな知識がパソコンひとつで学べるようサービスが急速に発展してきています。

そうした流れに合わせて、「ITを使った学習の方が効率的だ。もうこれからは学校に行かなくてもいい時代になる!」みたいな意見もちらほら見られます。

ゴゴ自身、まあそうかもね、なんて思うところもあったのですが、先日、たまたまとあるシンポジウムに参加したことをきっかけに、「未来の学校」についての明確なビジョンが見えました。

で、個人的な結論としては、ネット動画で学校がいらなくなるなんて時代は来ない、むしろまた、「良い大学へ行く」ことが求められる時代になると考えるに至りました。


これまでの学校というのは、基本的に知識を伝えるための装置でした。シンポジウムの分科会でプレゼンしたOlin CollegeのChachra教授は、空のバケツに水を注ぎこむイラストでその様を表現していましたが、まさにそんな感じですね。

ところでこのOlin College、今回ゴゴは初めて知ったのですが、2006年に初めての卒業生を送り出した非常に新しい工科の単科大学にも関わらず、先進的な教育プログラムで非常に高い評価を得ています。

特徴はいろいろあるのですが、エンジニア育成を目的としながら、デザインアプローチと人文科学における人間的価値の理解を重視したカリキュラムになっていること、それから、企業や社会における実際の課題解決にチームで1年に渡って取り組みながら、学生が自律的に必要な知識を習得していくという教育法を用いている点が非常にユニークであり、示唆に富むものと思います。

つまり、「バケツに水を注ぐ」ような授業で知識を溜め込むことがゴールではなく、実際の問題を解決するために、自分が知らない知識の習得を含めて、「知識を活用できるようになる」ことがゴールに置かれています。ここに、これからの大学の在り方が示されているとゴゴは思います。

まさにMOOCsなど、インターネットの発展で知識を得ることは、非常に簡単になってきています。しかし、単に知識を得れば役に立つのかと言えば、「有名大学卒だけど使えない」という声が昨今チラホラ聞かれる現状を考えれば答えは明白でしょう。

そう考えると、MOOCsというのは、教育へのアクセスという点ではイノベーティブですが、教育法という点では「バケツに水」の旧来的な教育を効率化するだけであると言えます。

とすると、教育におけるより大きな文脈でのイノベーションのテーマは、MOOCsを土台としつつ、学生が知識を現実に有効活用できるようになるための新たな教育プログラムの開発というところにあると思います。
(なので、MOOCsに意味がないと言ってるワケではなく、新たな教育法との補完関係のなかでこそ、その意義が真に発揮されると思います。)

そのために、これからの時代、大学という機関は、学生が取り組める課題テーマを提供し、そこに取り組むチームが集まるハブとなり、自律的な学習を促しながらも知識が偏り過ぎたり、うまく既存の知識にたどり着けない時には手助けをする、そういう役割・場になっていくでしょう。

そして、こうした観点での教育プログラムのデザイン力やコーディネート力の優劣によって、大学間での新たな競争が行われ、その中で「良い大学」で学ぶことが、未来においても社会的成功への一つの道標であることは変わらないだろう、という見方が冒頭の結論の理由です。


タイトルで「未来の〜」とは謳っていますが、この変化は既にいま起こっている変化です。これから大学を選ぼうとする若い人や親御さんは、旧来的な学校ブランドや「ITによる教育革命」の表面的な変化に惑わされることなく、Olinのように「知識を活かす」ことに真剣に取り組む「未来の良い大学」を目指していくことをオススメします。

そして、日本にいち早くそうしたプログラムを提供する大学が増えていくことを期待しています!

「ドワンゴ就職受験料、厚労省が中止求め行政指導」は、バカではなく実はまっとうな対応でしたというハナシ

2月はどうもアンテナが立つネタがなく、ブログ更新サボりまくりだったのですが、久々にピピッとくる香ばしそうなネタが入ってきました。

ドワンゴ就職受験料、厚労省が中止求め行政指導(Yomiuri Online)
来春卒業予定の大学生らの採用を巡り、大手IT企業「ドワンゴ」(東京)が入社希望者から受験料を徴収する制度を導入した問題で、厚生労働省東京労働局が「新卒者の就職活動が制約される恐れがある」として、職業安定法に基づき、次の2016年春卒の採用から自主的に徴収をやめるよう行政指導をしていたことがわかった。」 

これ、皆さんどう思います?ツイッター上では「厚労省、バカじゃねーの?」的な反応がわりかし普通だったように思われますし、ゴゴも最初は同じくアホちゃうか?と思いました。「職安法?しかも行政指導?www」ってな感じです。

ちょいとウンチクになりますが、職業安定法とはどんな法律かというと、主に職業紹介に関して規制する法律です。法の最初に掲げられている目的を見てみると、
 
(法律の目的)
第一条  この法律は、(中略)、公共に奉仕する公共職業安定所その他の職業安定機関が関係行政庁又は関係団体の協力を得て職業紹介事業等を行うこと、職業安定機関以外の者の行う職業紹介事業等が労働力の需要供給の適正かつ円滑な調整に果たすべき役割にかんがみその適正な運営を確保すること等により、(中略)、もつて職業の安定を図るとともに、経済及び社会の発展に寄与することを目的とする。

とされています。さらに、この法律は労働関連法の憲法ともいえる労働基準法の第6条、「何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。(中間搾取の禁止)」という規定を土台としてつくられています。つまり、不当にピンハネすんなよコラ、という法律です。

というワケで、職業紹介ではないドワンゴの取り組みに関して職安法で対応とは何事ぞ?しかも昭和でもないのにいまさら行政指導かよw、というのが最初の感想でした。


しかしですね、ここは念のためと法文を確認すると・・・

(報酬受領の禁止)
第三十九条  労働者の募集を行う者及び第三十六条第一項又は第三項の規定により労働者の募集に従事する者(以下「募集受託者」という。)は、募集に応じた労働者から、その募集に関し、いかなる名義でも、報酬を受けてはならない。

とばっちり規定されておるではないですか。。というワケで、厚労省の指導は当然のことでありました。法律で明確に禁止されているのですから仕方ないですね。

ここで、「そんなにばっちり違反してるんなら、指導なんてぬるいこと言ってる場合じゃないんじゃないの?」という疑問も当然あるかと思いますが、ここが今回の対応の妙で、ドワンゴの今回の取り組みというのは、大量かつ入社意思の薄い応募を課金によって制限しようという取組みなワケで、法がそもそも禁じている「中間搾取」を目的とした行為ではないことは明白です。

昨今の就職活動の在り方に様々な疑問が呈されている社会状況の中で、杓子定規に即座に法の適用を行うなんて無粋なことをするのではなく、行政指導というカタチで、「来年はうまいやり方考えてね~」とやんわりメッセージを送ったのは、むしろ法文の規定と現実問題の間でバランスをとった巧手であるといえましょう。

ちゃんと法律を理解しておくことは重要ですね。ちなみに、職安法第39条に違反したときの罰則は、「六月以下の懲役又は三十万円以下の罰金」でございました。

(法律見る時は、罰則を見ることが肝心ですよ!というワケで、こちらの記事もどうぞ→「法律を読み解いてみよう!話題の特定秘密保護法案を題材に、超シンプルな法律の読み解き方を教えます。」

ビットコイン問題3・ビットコインの賛否論点と矛盾点、今後の展望予測を分かりやすく解説

ビットコイン、Mt.Goxのトラブルで朝のワイドショーでも取り上げられるくらいのポピュラーな話題になってますね。

ビットコイン問題については、昨年の記事で終わりにしたはずでしたが、今回の事件を契機にビットコインがクローズアップされた結果、「ビットコインなんて詐欺みたいなもんでしょ」vs「ビットコインは価値がある、今回の問題は部分的な話だ」という意見対立がみられ、多くの人にとっては何が本当やらよくわからないと思いますので、それぞれの主張のポイントを簡単に整理しつつ、ビットコインと言う存在の矛盾について説明してみます。

(ビットコインについて詳しく理解したい方は、同じビットコインカテゴリの過去記事をご参照ください。)


1.「取引手段」としてのビットコインの価値 (技術的側面)
これは技術的思想としては良くできていて、「ブロックチェーンとプルーフオブワーク」という設計による、不正な使用の回避やビットコインの生成プロセスにおける「信頼性」の構築の仕方は、評価に値すると思います。IT系の人など、ビットコインを認める人たちは、ほぼこの点でビットコインを信用していると思います。


2.「貨幣(通貨)」としてのビットコインの価値 (貨幣論の側面)
こちらについてはまったく噴飯モノで、ビットコインに「貨幣的価値」はありません。貨幣の価値とは、大きく言えば「価値の信頼性(価格の安定性)」と、「流通範囲の広さ(いつでもどこでも使える)」につきます。まとめて言えば、どこに行っても同じ値段のものを買える、ということです。この点、ビットコインはそのどちらも満たしません。


3.ビットコインの矛盾点
ビットコインは、「技術的に取引上の信頼性が高く、それゆえに人々に信用されるならば、立派な貨幣である」、というのがIT派の人々の主張かと思いますが、取引上の「信頼性」と、貨幣としての「信用性」はまったく別のモノです。

前者は「ニセモノではない」ことを言っており、後者は「一定の価値に値する」ことを言っていますが、信頼と信用が概念的になんとなく似ているために、まぜこぜに理解されているところが、それぞれの主張が擦り合わない理由かと思われます。

たとえばここに1枚の珍しい切手があり、絶対にニセモノではないという保証があるとします。しかしだからといってこれが10万円の価値の通貨です、と言われても、それは一般的に認められないですよね。珍しい切手が好きであれば10万円出して交換してもいいかもしれませんが、興味がなければそれで10万円相当のモノは渡せないですよね。珍しい切手という「信頼性」はあるものの、価値の「信用性」はない、という状態です。

ビットコインはほぼそういったものです。ビットコインというデータのカタマリが好きならば、10万円だろうとなんだろうと払うのは勝手ですが、それが希少であるということとニセモノではないという「信頼性」だけで、世の中的に10万円の価値があると主張するのは無理があります。ビットコインは貨幣ではなく、いつでもどこでも使える保障はないのですから。

(ちなみに、普通の紙幣も「国家の信用力」というあいまいなものを背景にして発行されているから同じ、という意見をみかけますが、国には徴税権という強力な権限が担保にあることをお忘れなく。)


4.結論
というわけで、確かにMt. Goxの問題は一組織の問題であってビットコインシステム全体の問題ではありません。ビットコインそのものは「単なる詐欺」と切り捨てるには、少なくとも技術的にまっとうな存在であると思われます。

しかし、ビットコインはそうした技術的な側面に頼り切って、そもそもの「貨幣」としての信用性を担保する仕組みはない(というか出発点としてあえて否定している)という点で、信用リスクに対する脆弱さを抱えています。

なので、今回の事件は、技術的側面では関係のない組織運営の問題と言えるかもしれませんが、信用性の観点でみれば、そもそもそ信用根源のあいまいなビットコインという存在に致命的な問題を引き起こしたというのがゴゴの見方です。

今回の問題をきっかけに新規の取引参加者が減ってしまえば、ビットコインの価格はどこまでも落ちていくだろうといのがゴゴの個人的な見立てです。そもそもが、1ビットコインがいくらかという相場観を守る信用度合が何もないのですから、買う人がいなくなればフリーフォールになるのは当然のことかと。ま、あくまでも個人の予測ですが。
 
以上、ビットコイン問題を理解する上での一助になれば。
 

ということで、たぶん日本一シャープに論点整理してみました。原発再稼働に反対ですか?賛成ですか?

前回、脱原発かどうかではなくて、再稼働に反対なのか、それとも賛成・容認なのかが本当の争点だと書きました。

で、賛成・反対どちらをとるか、その理由はなぜかを考えてみてください、としていましたが、皆さんいかがでしょうか。

この問題をきちんと考えるためには、原発が停止状態にあることと稼働状態にあることの「差異」を理解していないといけません。メリデメとかプロコンとかってやつです。

まず前提として、普通に止まっている原発だろうと、いますでに溜まっている放射性廃棄物や原子炉の完全処分は、「脱原発」と叫んだところですぐには実現できないことなので、再稼働しようとしまいと、原発はこの先何十年も存在し続ける、ということは押さえておくべき事実です。

さてでは、再稼働したときと止めているとき、そのメリットデメリットは何でしょうか?

再稼働のメリット
まず、再稼働した場合のメリットは、輸入燃料費を下げられることです。最近、経常収支赤字のニュースなどでかなり認識されるようになってきましたが、原子力発電の代わりに火力発電に頼っていることで、燃料輸に年間で約4兆円も余分にかかるようになっています。これは、今回の消費増税による税収増に匹敵します。このおカネを節約できれば、被災者への賠償や電気料金の引き下げなどに充てることができます。

(関連ソース)
原発停止で13年度の燃料費3.6兆円増
消費税8%、税収増は4兆円強


原発停止のメリット
では、原発を停止しておくことのメリットは何でしょうか?

ザックリいえば、再稼働しないことのメリットは「安全」ということでしょう。しかし、動いている原発と止まっている原発の安全性の違いってどれほどなんでしょうか?

実のところ、判断できるだけの情報があまりないのですが、考えるべき3つの論点を以下あげます。

メルトダウンまでの余裕
まず、動いている状態から、被災等で制御不可能になると、すでに炉内水温は沸点を越しているので、数時間程度で冷却水が蒸発し、メルトダウンが始まるらしいです。一方、冷温停止状態であれば、冷却水が沸点に達するまで数日間は余裕があるらしい。。

しかし、ここで「らしい」とばかり言っているように、あまり確たるソースが出てきません。ゴゴの調べ方が悪いのかもしれませんが、個人のブログやはてななどのQAでやっとこうした「違い」について書かれたものを見る程度です。

(関連ソース)
原発は稼働中より停止した方が安全ですか

とはいえ、確かに、稼働状態と停止状態、それぞれで全電源喪失した場合の対応余裕度にそれなりの差があることは、理屈からして間違いなさそうです。

全電源喪失に対する対応策
そうすると、次にこうした制御不能になる可能性というのは、どれほどのものなのでしょうか?

福島の場合、「全電源喪失」という状態になり、そこからのリカバリーがうまくいかなかったことが事故の直接要因なのですが、そうした全電源喪失という事態や、そこへの対応策というものが、福島の事故をうけてどこまで進んでいるのかが良く分かりません。

ちなみに、「全電源喪失の場合も対策万全なのでもう福島のようなことは起こらない」と強く言ってしまうと、「じゃあやっぱり福島は完全に人災だよな」と、政府・東電の過失責任が改めて浮き彫りになってしまうので、この問題がイマイチはっきりしないのはそれを避けるためじゃないの?とゴゴは少し政府側の姿勢を疑っております。

ここは、福島の事故の原因と合わせ、隠すことなくはっきりさせるべき問題だと思います。

(関連ソース)
全電源喪失「津波が主因」、規制委報告
原発の全電源喪失、米は30年前に想定
全電源喪失を回避せよ 世界の原発、福島事故で動く

使用前燃料と使用済燃料の違い
もうひとつ分からないことがあります。それは、核燃料が使用前と使用後でどれほど扱いにくさが異なるか、ということです。

核燃料廃棄物の最終処理の難しさが再稼働反対の大きな論点になっているのですが、では、再稼働しないとしたときに、現在残っている核燃料はどうなるんでしょう?これは廃棄や処分がラクなんでしょうか?

まあ、原発を動かし続ければ処分しないといけない核物質の総量は増えるので、少なければマシという気もしますが、現在ある核燃料・廃棄物の処分が出来ないなら、程度差という気もします。この差異については全く見つけられませんでした。

まとめ
というわけで、再稼働をめぐるメリデメをならべると、
・再稼働すると、年4兆円(消費税3%分、あるいは1日100億円)の燃料費を削減できる。

これに対し、

・再稼働するよりは、停止状態にしておいた方が安全そう。しかし、リスクの違いがどれほどかはよく分からない。
・再稼働しないほうが核燃料・廃棄物の処分がどれくらいラクになるのかは不明。


ゴゴのこれまでの考えは、動いていようと止まっていようと原発は存在するのだから、結局はリスクは同じ、なら動かしておいた方がトク、というものでした。

しかし、こうして掘り下げてみると、リスク差についてはよく見えない中ではあるものの現に福島で事故は起こっており、とはいえ一方でいまは1日100億円も海外に垂れ流しているという状態も看過できるものではなく、判断が非常に難しい、というのがゴゴの現在の認識です。

(で、判断つかない中ですが、とりあえずは再稼働賛成派です。でももし、福島のような事故が千年に一度は起こりるかもしれませんと言われると、反対するかなあ。とはいえ100年安心レベルでも400兆円か。。)

このように考えると、脱原発を争点にあらそうなら、停止状態と稼働状態のリスク差や、全電源喪失に対する対応策の現状をキチンと開いた上で議論すべきだと思います。いまのままではまっとうな判断ができません。

だいたい原発問題は、あまりにもイデオロギー論が多すぎです。そりゃ確かに、安全考えれば原発はない方がいい。しかし、反対が通ったからといって問題がすぐに消えてなくなるわけではありませんよね。すでに原発も核廃棄物も存在し、その処分は賛成反対いずれにしろ考えないといけない、そして、そのためには莫大なおカネも必要なワケです。

なので、イデオロギーでの原発賛成/反対ではなく、すでに原発が存在していることを前提に、再稼働することとしないことについての「現時点からの差分」をリアリスティックに議論しないと、何の解決にもならないとゴゴは考えてます。

東京都知事選の争点が脱原発などというのは荒唐無稽な状況であり(前回言いましたが、そもそも「脱原発」なんて争点にもなりません)、その中でさらに低レベルな議論に振り回されないよう、政府としては一層の説明責任を、マスコミにはもう一歩突っ込んだ報道姿勢をお願いしたいところです。


ちなみに、もう締め切られてしまったようですが、日経ビジネスオンラインのこのアンケートは、なかなか良い切り口だったと思います。欲をいえば、もう少し上記論点に対して材料を示してほしかったですが。結果に注目しています。

脱原発かどうかより、再稼働に反対かどうかが問題ちゃうの?争点化するなちゃんとやれよボケ!という話

東京都知事選、脱原発が争点だとか意味不明な展開になってきてますね。

何で都知事選で原発が争点になるねん?とつい関西弁で突っ込んでしまうわけ分からん状況ですが、脱原発を争点にしてくれた小泉さんは素晴らしいとか、脱原発こそ都知事選のテーマにふさわしいとか、何でもかんでも日本が悪いと叫び続ける某国を笑えないくらいの無節操ぶりに、もはやお笑いを見る気分で楽しもうと思っております。

というわけで、都知事選で脱原発を問うことには当然ながら全く意味を感じないゴゴですが、盛り上がっているテーマなので、脱原発という争点をちょいと考えてみましょう。

まず、「脱原発」が何を目標としているかという定義を考えてみましょう。これは、「原子力エネルギーに頼らない電力供給構造を実現すること」ということでいいですかね。この前提で、現存する原発の完全廃炉を目指している、という認識で間違っていないと思います。

しかし、脱原発といっても、原発再稼働反対という急進派と、数十年後の将来まで見すえて、エネルギー技術の進展にあわせてという現実派まで、そのスタンスには結構な幅があります。こうした幅を飲み込めば、「できるなら脱原発」という人が大多数じゃないですかね?福島の手のつけられない惨状を考えれば、それは自然なキモチだと思います。

つまり、脱原発というのは、ほぼ「キモチ」なんですよ。皆んなできればそうありたいよね、レベルの。しかし、フワッとしたキモチなんか争点なんかになりようはないわけで、本当の争点は、「再稼働に反対か、容認か」、これですよ。

こんな初歩的な論理的整理もせず、「脱原発が争点」ってことを、マスコミやら偉い人達が平気で語ってるのを見ると、「ボケか、もう日本に大学なんかいらんわ!」と言いたくなってくるくらいです。(それなりの大学に行ってた人達がこれじゃあね。。これだから文系はバカにされるワケですよ。)

さて、ゴゴログを愛読する理屈っぽいみなさんは、これからもし脱原発をテーマに議論する機会あれば(あまりないよなあ)、「それで再稼働に賛成か、反対か、どうやねん?」とキッチリ詰めていただければ幸いです。

で、再稼働を争点にしたところで、何の材料をもって賛成か反対か、というところからがホントは本題なんですが、前置きがながくなったので、次回に続きます。

あなたは原発再稼働に賛成ですか?反対ですか?、それはなぜかとともに、ぜひ次回までに考えておいてみてください。

結構シビアな問題で、ゴゴは以前は単純に賛成派でしたが、最近悩んでおります。。

若者よ、客観性ではなく主観を磨け! ~イノベーションが求められる時代に真に必要とされる能力(その3・完結編)~

その1その2を読む)
一連の「主観シリーズ」の3回目(完結編)です。

前回記事まででは、以下について述べてきました。
・最近ホットな「デザイン」に関わる人たちと話す中で、客観的な正しさよりも、個人としてモノゴトをどう見るかという主観の強さが、新しい価値創造を行っていく中でもっと必要になってくると思われ

・主観の強さというのは、単に「私は~が好き/思う」というレベルにとどまらず、なぜそう感じる/思うのかをもう一段掘り下げて、そう感じたり思っていることの土台になっている、個人の根源的な価値観まで掘り下げられていること。

・そうした「主観の磨き上げ」ためには、「批評」という行為が有効であること

ここまでで、「主観が大切」という考え方もあるんだなとか、「主観といっても、好き/思うだけではないレベルがあるのだな」ということは受け止めてもらえるのではないかと思いますが、では、そうした強い主観が、本当にイノベーションのために欠かせないのかという点については、まだよくわからない、というところかと思います。


世の中は客観的な正しさで出来ているのか? 
皆さん、上記のとおり問われたらどう答えますか?ゴゴの好きな哲学の世界に寄り道しますが、ちょっと考えてみてください。西洋哲学は、ギリシャ哲学における「世界は何で出来ているのか?(火・水・数・・・)」という思索から始まり、この世の中の事象を成立させている決定的な原因(=真理)を探ろうとしてきました。しかし、この考え方を突き詰めていくと、人間の運命も何か(例えば、神)によってあらかじめ決定されている、という考え方に行きつきます。

しかし、心ある人間として、すべてが運命的に決められているなんていう考え方はどうも気に食わない。やはり、人間たるもの自らの力で人生を切り開いていくのだ、という考え方の方がすっきりするし、生きやすい。ただ、こうした自己中心の考え方もつきつめていくと、世の中に存在する「客観」と自らの「主観」が対立し、ひどくなると世の中のすべてが疑わしいという独善的な懐疑主義やニヒリズムに陥る危険性があります。

哲学の世界では、こうした客観的真理が存在するのか・しないのかが大きなテーマとなって長い間いろんな議論・思想が生まれてきたのですが、 フッサールという哲学者は、「間主観性」という考え方でこの対立的問題を解決しようとしました。それは慨して言えば、人間の認識の外にあらかじめ客観的真理が存在するのではなく、個々の主観同士が同じモノをみて、そこに共通の了解が産まれた時にそれが真理となる、というという考え方です。(自然科学的な法則も、人間の認識によって自然現象に秩序づけているだけ、という考え方。)

つまり、フッサール哲学(現象学)では、自らの主体的な自らの在り様(主観)を前提としながらも、懐疑主義やニヒリズムに陥ることなく、他者と共有できる客観的世界が成立することを示したのです。この考え方は、非常に面白いと思いませんか?世の中は「客観的な正しさ」で出来ているのではなく、「人間どうしの関係の中で、相互の確信の一致としてただ作り出されるもの」(竹田青嗣「自分を知るための哲学入門」p.68)なのです。

そう考えれば、自分のやろうとしていることが正しいのか、本当にあっているのかを悩むことには実はまったく意味がなくなります。よく、ベンチャースピリットの一つとして、「パラノイアだけが生き残る」(アンディ・グローブ)が引き合いにだされますが、それは、「本当がどうかわからない事を、恐怖心を振り切ってトライする」というイメージではなく、自分が「それは本当である/世の中にとっての普遍的価値がある」と心の底から信じることを、他者からの共通理解を得られるまでやっていく、ということのように思われます。


イノベーション時代における「主観の強さ」の意味
もはやあまり説明する必要もない気もしますが、上記で述べたように、世の中にイノベーションを起こそうとするような試みにおいては、世の中の常識ではなくても、「それは本当である/普遍的価値がある」という確信が自らの中に存在していなくては何も始まりません。

しかも、自らの中の確信は、「間主観性」を引き合いにだせば、世の中の他者からの共通理解を得て初めて意味ある真実となるわけですから、これをきちんと他者に説明をして、納得を引き出していかなければなりません。そのためには、「私は~が好きだ/思う」レベルでは、未だ世の中の常識ではない「未来の真実」を、他人に理解させることもできないはずです。

なぜそれが好きか、そう思うかを自らの価値観まで掘り下げて理解していないと、他人に説明することも難しいでしょうし、どちらにしても理解されにくい新しい価値観を、他人に拒否されつづけてもあきらめることなく試し続けるためには、自分の中での明快なロジックとしてを伴っての「それが大切だ」という、「強い主観」が必要になります。

しかしながら、前回述べたように、自らの主観をきちんと掘り下げて語れる日本人は、あくまでもゴゴの個人的感覚ではあるものの、非常に少ないと思います。でも、だからこそ、これからの時代を切り開いて行こうとする若者にとっては、「強い主観」を磨くことの価値が非常に高まってくるとゴゴは思うわけです。

ロジカルシンキング的なスキルはもちろん大切ですが、それでもって客観的な正しさのみを検証することに埋没することなく、自分は世界をどう捉えているのかといった物の見方や、自分が大切に思うことの根源となる価値観を掘り下げていくような「主観の磨き上げ」に投資していくことは、イノベーティブなチャレンジに挑戦しようとする人にとって、絶対これからの時代で効いてきますよ!

 
P.S.
これを書いてる本日は2013年の大晦日。
(買いだしやらの年末家庭進行のさながら、早朝起きだして書いてます。。我ながら何してんだか。) 

強い主観にあふれてイノベーティブな可能性に満ちた日本の未来に思いをはせながら・・・皆様よいお年を!



※今回の参考図書



プロフィール
むかし経産省、その後リクルート、40過ぎで特にあてもなく会社辞めて今は半分主夫・子育てしながら色々会社手伝ったりで今のところプラプラしてるおっさん。 面白い案件なら経営一般・組織人事系or政策関係のコンサルやらベンチャーの管理部門系のお手伝いできるかもです。ご相談ある方は下記アドレスにお願いします。 gogot(at)io.ocn.ne.jp
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: